能町みね子連載「かわりばえのする私」vol.21をweb先行公開!!

かわりばえのする私 vol.21

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 なんでもかんでも世代で片づけてはいけないけれど、私の世代(70年代後半〜80年代前半くらいの生まれ)って、ツイッターにもインスタにもなじんでいるけど、TikTokにはなじめないくらいの層だと思うんです。
 ツイッターは文字文化だし、インスタはわりと「映えるもの(他者)を撮る」という文化だと思うんだけど、私が思うに、TikTokはめっちゃ自撮り文化だと思う。
 自撮りにかなり抵抗のある世代層と、さほど抵抗のない層と、ここにはけっこうな線引きがあると思うんですよ。私は前者なわけですが、後者がうらやましゅうてしかたないのよ。
 私は前者のセンターを張ってるの。自撮り全然したくないの。自撮りをガンガン行ける人、自分がこんなふうに見られたら嫌だなとか、顔のこの部分嫌だな、みたいな自意識はどうなってるわけ? あんまりそのへん気にしないのかな。ささっと加工もできるからいいのかな。いや、でも、それでいいよ。絶対気にしないほうがいいと思う。私は自分の顔なんてどう映したらいいか分かんないわけ。決め顔とか決めポーズとかも何もないわけよ。加工の仕方とかも、今さらそんなことするの? めんどくさ。いいよ、もう……って感じなの。
 だもんで、物書きの仕事をしはじめたころ、私はメディアに顔を出さないつもりでした。写真も動画も×でした。
 外見にもファッションにも自信ないですし。あと、自撮り文化もほとんどなかった頃ですから、顔をバンバン出していくと、顔に自信がある人だと思われるんじゃないか、という余計な自意識も入っていました。見た目や、見た目を出す行為によって、書いたもののイメージが変わっちゃうのはいやだなあ、とも思っていました。
 そのくせ、人前に出るトークイベントは、映像や写真を残さないという条件でごくたまにやっていました。
 私の顔は実際に来たときだけ見られる特典だよ!……なんて考えていたわけではありません。そこに付加価値をつけようと思ってたわけではないんです。でも、顔を明かしていない人がイベントをやったら、実際のところ、来てみたいと思う人って多いでしょ。そこを利用して私は、逆に私を見に来てくれるような人は何者なのか見たかったんです。人の顔を見ようと思ってイベントに来たあなたは、顔を見られているのだ。えーと、なんかこんなふうな格言があった気がする。いまは正確に引用できないので各自調べるように。
 ともあれ。他人の顔って、見てみたい。でも自分の顔はあんまり見せたくない。そういう人も多いよね? 私もそれですよ。ああ、なんて不条理。
 このバランスは、あるとき破られることになる。
 きっかけは、「オールナイトニッポン」のオーディションでした。
 歴史あるラジオ番組「オールナイトニッポン」が、一般人も含めた広いオーディションでパーソナリティを募集するという企画が10年前にあったのです。審査はYouTubeに上げた動画によってなされる、とのこと。
 私はこれに、友人である漫画家の久保ミツロウさんと組んで応募してみることにしたのです。といっても、この時点で私は冗談半分、ノリみたいなもんでした。すでに久保さんとは2回くらいトークイベントをしていたので、その企画の一環、という感じ。応募にあたってYouTubeに顔を上げるといったって、見る人は所詮内輪止まりじゃないですか。実際上げてみても再生回数も大して伸びなかったし。この時点では、世間に顔をさらしたという感覚はあまりなかったんです。
 ところが、計算外のことが起こりました。なんだかんだあって、受かってしまったのです。
 受かったら、なんとラジオ番組が始まってしまう(当たり前だ)。これだけ大きな企画なので、選ばれた人たちはみんなで記者会見に出なきゃいけない、ということになった。困った。
 思いっきりメディアに顔が出てしまう。今までは、せいぜいイベントに来てくれるような、初めから私を何者か知っているような人たちに対してしか顔を見せていなかったから、顔についての評価なんてまともに食らったことはなかった。姿を見せれば、顔やファッションについても、知らない人から勝手なジャッジを下されたりする。すごくいやだ。どうしよう。
 迷っていたときにふと思いついたのは、タモリさんのことである。
 その時点で、もちろん会ったこともない、ただちょっと好きな芸能人の一人であったタモリさん、その自意識にふと思いが至ったのである。
 急に何の話だと思われそうだが、次回へ続きます。

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Illustrator/Takayuki kudo