【島袋かほが過ごしてきた人生とは? 気になる過去・現在・未来に迫る!】History of Models 前編

1996年5月13日生まれ、26歳。東京都出身。2019年の誌上オーディションを勝ち残り、念願のラファモデビュー。153cmの低身長と明るいスマイルがトレードマークで、何気にオタク気質? 知れば知るほど親近感が湧く、島袋かほの素顔にフォーカス!


個性的な父親に育まれた「みんなと同じはイヤ!」

 両親と兄の4人家族で、幼いころは普通体型だったけど、低身長は両親譲り。特にお父さんっ子だった自覚がある。もっさもさのヒゲがトレードマークだったお父さんはアウトドアやDIYが得意で、思い出がいっぱい。島袋も「みんなと同じじゃつまらない」という父親の性格に影響を受けた。小学校の発表会などでは「主役より、キャラ被りしないポジションをやりたがるタイプ。劇ならお姫様じゃなくて魔女とか、吹奏楽ならバス、木琴とか。ある意味、目立ちたがり屋です(笑)」。
 小学生のころにみるみるぽっちゃりし始め、運動のため中学ではバレーボール部に。とはいえ運動神経はイマイチなので、結局マネージャーになった。厳しい部活で叩き込まれた礼儀は、今も役に立っている。また、ほかにやる人がいなかっただけと言いつつ、生徒会長も経験。朝礼や行事のたびに壇上で挨拶をしていたおかげで度胸がつき、舞台へ興味が湧いて演劇科のある単位制の高校に進むことにした。

バンドに励んだ高校時代 父が残してくれた言葉
 だが、高校でハマったのは演劇ではなく軽音学部。『ニコニコ動画』の "ベース弾いてみました" 動画に触発され、同じクラスの仲間とバンドを組みベース担当に。2年になるとメンバーたちとクラスが分かれ、新しいクラスになじめず放課後だけ登校するようになる。両親は寛大だったが、当時父親が退職して家にいた時期があった。いつもと違う父親の背中を見るのが嫌で、遅くまで外で時間をつぶしていた毎日。そんなある日、父が倒れて急逝してしまう。「今思えば、あのころもっと一緒に過ごせばよかった。一度だけ、お父さんも音楽を目指してベースを弾いていた話や、進路の相談をしたことがあって。もし生きてたら、もっといろんな話がしたかった」。だけど、父の「好きなことをやったらいい」という言葉はずっと心の支えになっている。

気になる続きは1/26(木)アップの後編で!
島袋かほの思い出の1枚~幼少期~


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Photographs/Shiori Ota
Edit&Text/Yuriko Hayashi
※このページはすべてモデルの私服です。

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